2024年3月に、夫婦で台湾旅行へ行ってきました。本記事では、台南の代表的な観光スポットである、赤崁楼(プロヴィンティア城)の基本情報をご紹介します。
赤崁楼は、日本と関わりがある場所です。見どころはもちろんのこと、入場料や行き方などについても、実体験をベースに解説します!
赤崁楼とは?
赤崁楼の概要
赤崁楼は、台湾南部に上陸したオランダ東インド会社(貿易および植民地統治を行なった会社)によって、1653年に建設された要塞です。元々は赤レンガ造りの西洋建築で「プロヴィンティア城」と呼ばれていました。
1661年に、鄭成功(中国人の父親と日本人の母親の間に生まれる。明王朝を再興するために活躍した人物)がオランダとの戦いに勝利すると、赤崁楼は鄭氏政権の拠点になりました。
その後、1683年に康熙帝(清王朝の第4代皇帝)が台湾を編入しました。清朝統治時代に起きた反乱や自然災害などの影響により、赤崁楼は荒廃してしまいます。
現在の赤崁楼は、19世紀以降に再建されたものです。閩南式建築(中国南東部に位置する福建省を起源とする建築様式。赤レンガが特徴)の楼閣は、台南のランドマークとなっています。
アクセス方法と入場料
赤崁楼は、台南駅(台湾鉄道)からバスまたは徒歩でアクセスすることができます。所要時間は10〜15分程度です。私たちは、赤崁楼まで歩いて行きました。
赤崁楼の入場チケットは、窓口またはオンラインで購入することができます。私たちは、窓口で定価のチケットを購入しました。現金や電子マネーなどで支払いが可能です。
ご参考までに、私たちが購入した入場チケットの価格は、大人1人当たり70元(約329円:2024年3月時点)でした。
後から知ったのですが、旅行レジャー予約サイトKLOOK(クルック)では、割引価格で購入することができます!
施設内の見どころ
売店・トイレ
チケットの確認を終えて、赤崁楼の敷地内に入ると、まず正面奥に楼閣「海神廟」が見えました。右側には、お土産を購入することができる売店やトイレがありました。
御贔屭碑
海神廟の手前には、9枚の石碑「御贔屭碑」と池が設置されています。
贔屭とは、中国の伝説上の生き物(龍の子ども)です。重いものを支えることを特技としているため、石碑の土台の装飾に用いられています。日本語でも馴染みのある「ご贔屓」の語源となっているそうです。
池にはたくさんの鯉が泳いでおり、ついつい見入ってしまいました!近くには、鯉のエサ(10元)の自動販売機もありました。
海神廟
1つ目の楼閣である「海神廟」は、牡丹社事件(台湾に漂着した琉球人の殺害をきっかけに、先住民パイワン族の村である牡丹郷へ日本軍が出兵した事件)を受けて、海神のご加護を賜るために建てられました。
海神廟は2階建てとなっています。1階には、赤崁楼(プロヴィンティア城)の復元模型や修復の様子をまとめた展示があり、興味深かったです。中央には、鄭成功の肖像画が飾られていました。
1階の後方(外側)にある門の上には、繁栄の象徴とされる「芭蕉の葉とウサギ」の装飾がありました。事前に情報を確認していなければ、見逃していたと思います…!
2階には、船の模型がありました。人数制限が設けられており、待機していましたが、なんと表示器が故障していました(2024年3月時点)。最初に様子を見てみることをおすすめします。
文昌閣
2つ目の楼閣である「文昌閣」は、海神廟の隣にあります。文昌閣は、教育振興を目的として建てられており、学問(文学)の神様である魁星が祀られています。
私たちが訪れた時期(2024年3月)は、文昌閣の改修工事が行われていましたが、展示物の一部は海神廟へ移されており、見学することができました。
1942年に台南市長となり、赤崁楼の修復に携わった日本人である「羽鳥又男」も注目したい人物です。私たちは見ることができませんでしたが、文昌閣には羽鳥又男の像も置かれているそうです。
その他
現在の赤崁楼(プロヴィンティア城)は、ほとんど原型をとどめていませんが、オランダ人が築いた土台や正門など、一部分が発見されています。赤崁楼に設置されている、数々の碑文にも、興味をそそられました。
まとめ
本記事では、赤崁楼(プロヴィンティア城)の入場料や見どころなどについて、解説させていただきました。
元々はオランダ人が建設した要塞でしたが、奪還や修復などの歴史をたどると、日本とも関わりの深い場所であることが分かりました。
台南駅(台湾鉄道)から徒歩でアクセスできることも嬉しいポイントです。実際に訪れて、見聞を深めてみてはいかがでしょうか?